
退職後は下手でもいいから、
たのしみながらかきたいと常々思っていましたが、
1998年(68歳)になってパリを訪れ、
ルーブル、オルセーと見て廻った感動も手伝って、
なんとかして、今すぐ始めなければならないという衝動にかれれました。
たまたま早見のデッサン会の資料を入手しましたので、
とりあえずデッサンから初めておけば、
将来実際に退職した時に油絵に入るのにも都合がよいのでは、と考え、
思いきってその年の12月からそのデッサン会に参加しました。

右も左もわからないまま、モデルさんに向ってひたすら描きはじめました。
非情なタイマーの音と共にどんどん変わっていくポーズに圧倒されながら
ひたすら少しでも正しい(狂っていない)絵をかきたいと念じつつ毎週悪戦苦闘していました。
幸い1999年9月から水曜日の素描教室で指導を受けるようになりましたので、
紙、鉛筆、木炭、コンテなどの特質とその使い方、
また絵画における光、構図、モチーフ等の基礎を教えていただきながら、
日曜のデッサン会を続けました。
最初の頃から見れば、多少形のとり方など早くなりましたが、
相変わらずタイマーの音に恐怖を覚えつつ
必死に「ああ、ここがちがう」「ここが狂っている」と格闘している間にタイムアップとなる状態が続いています。
従って、私のクロッキーは、
どういう絵に仕上げようかというような構想があって描き始める訳ではなく、
無我夢中で描いているうちに時間がきてしまうという次第です。

そして不思議なことに、
自分としては、うまくいかなくて苦心惨憺した絵、
または うまくいかないと思いながらなんとか仕上げた絵がほめられる場合が多いようです。
やはり、自分でうまく描こうと思わないで、
モデルさんを必死に正しく描こうと思って描いた時が一番いいのかも知れません。
10分程度のクロッキーで無心に描いたものが、
後になって見直すと意外によく、また評価されたときはうれしいものです。
また、素描の面白さ、奥深さがだんだんわかりかけてきました。
展覧会に行ったときも「素描」があれば 近づいて熱心に見るように心掛けています。
近づきすぎると会場の係員に注意されますが、それにめげず頑張ることにしています。
油絵の光について
先日 ポーラ美術館を訪ねた際にも感じたことですが、
例えば モネの「サン・ラザール駅の線路」において、
蒸気機関車がはき出す蒸気に朝の日差しが投射して輝く様を
見事に描写しているのをみると
まさに「光を描いている」という実感が伝わってきます。
この様な「光」はクールベ、コローなどの風景画にもしばしば表現されているし、
また ルノワールの「若い女性のトルソ、陽の効果」においても
女性に投影される木漏れ日が美しく表現されています。
そこで、この様な効果を自分の絵の中で表現しようとするとなかなかうまくいきません。
周囲を暗くして明るい色を置けば「光」になるかと思うと、
そうは問屋がおろさない。
私なりに思うには、
明るい中の影、暗い中の明るさ、また 特に暗い部分の色彩、
はたまた、絵の中におけるヴァルールのバランスを考慮しないと
単に 白いよごれのようになってしまう気がします。
2003年12月記
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